双極ふらふらライフ
ラストスパート終わり
ブーランジェリ・タナカのショーソン・オ・ポムです。
逆折込み?なる謎なワザで作られるという、
ハラハラりぃ~なアップルパイ。
こらこら~かりん、どけなさい。
といってもきかず、かりんは表面の甘いのをペロペロしていました。
どうせ私が食べるんだから、いいんですけどね。
かりんと私は家族ですから☆
私は、ラストスパートが終わり、脱力中です。
やっぱりいまいち体の調子がよくないです。
それに、へんなのは体だけなので、楽なもんです。
先週の穴掘りは、やっぱり重労働で、
結局体の筋肉が回復するのに3日ぐらいかかっていました。
そんな中での全力疾走。
いやはや。
でも、早く植えてあげて、バラさんにはよかったと思います。
来週からぐっと気温が下がるらしいしね。
今日の礼拝の牧師のお話に、うちのかりんの話が出てきました。
かりんは芋煮会で子供が拾ってしまった捨て猫で、
生まれて数日で、放置されて弱っており、汚れていて、小さく、
そのままにしていれば必ず死ぬ、という状態でした。
子猫は、自分の力では、自分をどうすることもできなかった。
だけど、たまたまコロッケさんがその場にいて、
子猫があまりにも哀れでかわいらしかったので(ここの言葉で「もぞこい」と言います)
連れて帰り、コロッケさんちの子として育てて19年になる。
これは、神様と人との関係に似ている。
人は、自分の力ではどうしようもない問題を抱え、
そのままでは滅ぶばかりである。
ところが、イエスキリストは、人をそのままの姿で救い、
丸ごと受け入れて、愛し、生かしてくださる。
神は、人がわが子を愛する以上に、人を愛し、
守りいつくしんでくださっているのだ。
というたとえ話として語られました。
私はこれを聞いて、こう思いました。
神さまに気に入られるために何かをする必要はない。
救われるのに条件などない。
弱く小さく、汚れて死にそうな、そのままでよい。
私がかりんを拾ったのは、立派な血統書が着いた猫だからじゃなく、
ただの雑種で、なんの価値もないけど、
無条件で拾ったのと同じで。
神様と人との関係と、かりんと私との関係がたとえられるなんて、
あまりにもレベルの違う話で恐縮だったけど、
まあ、ぐ~~っとレベルを下げれば、そういうことになるかも。
もともと、神様が私たちのためになさることなんて、
高すぎて、深すぎて、広すぎて、わかんないもんなぁ。
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プロフィール
南側に隣家が立っているので、基本的に庭は半日陰です。少しでも日が長くなる場所を探したり、あまり日が当たらないところでも育ってくれる植物を選んだり、試行錯誤が続いています。
ロードバイクで通勤しています。
エレクトーン初心者です。フルートの初心者でもあります。
こちらにも自己紹介を書いてみました。
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